多様なシチュエーションを大人が子どもに作っていくことが大事

猿渡 智衛さん
神奈川県横浜市 → 青森県弘前市 → 横浜市 → 楢葉町
神奈川県横浜市出身。高校卒業後、青森県の弘前大学に進学し、教育について学ぶ。在学中に教育カウンセラーの資格を取り、不登校の子どもたちの支援も行う。卒業後は横浜市青少年育成協会で、放課後事業の立ち上げに関わる。その後、横浜市の小学校教員になり12年間を経て、文部科学省に出向。被災地担当になり、福島を含む被災地に来る。復興教育によるコミュニティ再生を志し、福島県教員になり、楢葉町で教鞭をとる。昨年度より、地域学校協働センターのセンター長兼楢葉町教育委員会の指導主事。

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神奈川県横浜市栄区にある大規模団地出身の猿渡さん。団地だけで千人を超える場所。昔ながらのコミュニティでいろんな人に支えられながら、揉まれて育ったと振り返ります。
昔ながらの団地でいい意味でコミュニティがしっかりしているが、悪い意味ではプライベートがなく、早く自立したかったそうです。そこで進学したのが横浜から遠く離れた青森県の弘前大学でした。
大学では教育学部心理科に在籍し、教育カウンセラーの資格を取得し、在学中に青森県総合学校教育センターの教育相談課に所属し不登校の子どもへの支援を行っていたそうです。様々な子どもたちのケアに関わり、子どもたちと向き合いたいと感じたそうです。
大学院でも放課後教育について研究し、論文が文部科学省から評価をもらい、委員などを務めたそうです。大学時代の研究が今の下地になっていると話します。

卒業後、横浜市の青少年育成協会の職員になり、2年間放課後事業の立ち上げに関わりました。その後、横浜市の小学校教員になり12年間過ごしました。横浜の教員の時に震災が起き、石巻応援隊のリーダーとして、石巻の子どもたちに勉強を教えました。
その後、文部科学省の被災地担当に出向になり、様々な地域を見て回りました。
帰還が始まった直後の楢葉町にも訪れました。その時に地域住民の一人が、「一人でも楢葉町に子どもが戻ってくるなら、子どもたちを育てるために、私達大人も地域に戻ろうと決めた。」と話すのを聞いて、感動したそうです。子どものために地域住民がコミュニティを創ろうとしていることに共感し、涙を流したと振り返ります。
それがきっかけとなり浜通りで教育に関わりたいという思いから、文科省を辞め、福島県の教員試験を受け、楢葉町に来ました。

楢葉町で最初に担任を持ったのは小学2年生。震災の翌年に生まれた子どもたちで、楢葉で育った子どもたちが居なかった。それぞれ違うところで生まれ育ち、楢葉町にアイデンティティーがないような状態でした。そこで、楢葉の子どもたちに「ここが故郷だよ」というのを教育の中でやっていかなければならないと感じました。
そこで、子どもたちにふるさとを感じさせる事業として、「ならはメダカ(※楢葉で育てられているメダカ)」の取り組みを始めました。町での活動に主体的に参画することができ、楢葉町にたくさんの素敵な人がいることを知ることができました。
他にも天神太鼓の取り組みでは、オリンピック聖火リレーの時や楢葉復興感謝祭などでの発表の場も与えてもらえ、子どもたちが成長していくことを実感したと言います。
子どもたち自身が地域の子どもなんだということを実感し、子どもの姿が地域住民を勇気づけていると感じたそうです。

楢葉町に来て様々な違いに戸惑いを感じる部分もあったと言います。悩んだこともあったがそんな時は楢葉の景色に癒されたと話します。特に印象的だったのは田んぼの水面に星空がうつる光景や天神岬温泉からは見えた満月だったそうです。

来た当初、学校にいろんな支援が来ており、地域のニーズと無関係で、地域と関係のない人が少なくないことに違和感を持ちました。「やってあげている」ような感覚の支援者も少なくなく、子どもたちが「被災のシンボル」や「助けられべき弱者」という特殊な環境に置かれている気がしたそうです。そして、その事業の後に子どもたちが得るものがない。地域とのつながりがなく、楢葉での教育が地に足がついていないと感じました。
楢葉町ではこども園から中学校まで同じ集団の中で育っていくため、その中ではいろんな人との関わりを作ることが大事だと話します。人の多様性、関わりの機会の多様性がないと、自分と合わなかったらそこで終わってしまう。多様な居場所や関係性を作ることで、より居心地の良い自分にもつながる。だから、楢葉の子どもたちに地域のたくさんの人、モノ、コトに出合ってほしい。そう考えていたそうです。

楢葉にはたくさんの教育資源があり、思いを持った人もいっぱいいるが、これまで学校と関りが少なく、子どもたちが地域の人を知らないのがもったいないと感じていました。
そして、「子どものために」となると楢葉の人たちはみんな本気で関わってくれると感じたそうです。地域のいろんな人がどんどんつながっていけるのが楢葉のポテンシャルの高さだと言います。思いが強い人が多く、きっかけさえあればもっと子どもたちの環境がより良くなっていくと考えています。

指導主事は2、3年しかいられないことが多いため、楢葉にいられるのもあと少しなのではないかと感じているそうです。だから、今自分が地域の人たちと立ち上げたものを、これからは地域に根差した人が成熟させていってもらいたい。
そして、災害の多い日本で、次の大規模災害が起きた時、楢葉の実践を他の被災地にも活用してほしい。被害を受けたコミュニティを再構築するのに、教育が非常に重要なファクターなんだというエビデンスとして、楢葉の取組を残していきたいと考えているそうです。

今は、地元にいるおじいちゃんおばあちゃんなど、これまでの地縁的な関りをベースにしていてコミュニティを再構築しています。次のフェーズにいくとしたら、移住してくる人など新規住民との新しいコミュニティづくりが必要だと考えています。例えば仕事で来ている外国人もいるので、多様な人たちと子ども達と出会わせたいと考えているそうです。
楢葉町に思いがあって来た人達に、子どもたちと関わってもらいたい。いろんな人と関わることによって、子どもたちがたくさんのことを得ていくのではないかと思います。しかし現状は日中に働いている人が多く、放課後に呼ぶことが難しく現状ではなかなかつながりがもてないそうです。

しかし、新しいスキルやバックグラウンドを持った人たちとの関りは、子どもたちにとって、いい経験ができるというだけでなく、その先に地域を感じ取れそこからふるさと楢葉を見いだせることになります。いろんな関りの中から、何かに引っかかってくれたら(子どもたちが何かを見つけてくれたら)と思っているそうです。

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