自分が大切に思っている場所をちゃんと伝えていきたい

仁平 芽衣(旧姓:藤原)さん
楢葉町 → 東京都(進学) → いわき市(避難) → 東京 → 仙台市 → 楢葉町・いわき市の2拠点居住(職場は楢葉町)
福島県楢葉町出身。高校卒業後、好きだったコンサートの制作や企画について学ぶため上京。卒業の年、楢葉町へ帰省していた時に震災を経験。「家族と一緒にいたい」と東京での就職を断り、大切な家族が避難するいわき市へ。その後、東京・仙台での生活経て、2019年に株式会社Jヴィレッジへの転職を機に福島県へUターン。

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楢葉町で育った藤原さんは、小さいころから音楽が好きで、高校時代はアルバイト代を貯め、お気に入りのアーティストのコンサートによく通っていました。そのような経験から「いつかコンサートに関わる仕事がしたい」と考えるようになり、東京の専門学校へ進学しました。専門学校では、企画・制作からチケット販売、広報について幅広く学ぶことができたそうです。「そのまま東京で働き、戻ってくるつもりもなかった」と当時を振り返ります。
卒業を控え、たまたま楢葉町に帰省していた時に東日本大震災が起きました。当時、お父さんは仕事で家に帰れない日々が続き、お母さんが一人になることが続いていたとのこと。お母さんを一人にしてはおけないと感じた藤原さんは東京での就職を断り、家族が避難していたいわき市に住むことを決め、知り合いのカフェやコンサートホールの受付などの仕事を始めました。



藤原さんには年の離れた2人のお兄さんがいます。お兄さん達は成人してから県外で暮らしていたためそれまで家族5人が揃うことはあまりなく、震災後に久しぶりに家族全員が集まったそうです。それを機に家族で集まることが多くなったとのこと。「震災のおかげもあったのではないか」と、改めて家族の大切さを認識したそうです。
その後、お兄さんが仙台で仕事を始めることに。事業が落ち着くまで藤原さんもサポートで仙台へ行くことになりました。仕事だけではなく、お兄さん夫婦の子育てサポートもできたことで、家族について考える機会が増え「自分も兄夫婦のような家庭を築きたい」という気持ちが福島に戻るきっかけになったそうです。
「家族といたい」「地元にいたい」という気持ちが増す一方、「次に地元へ帰るときはずっと住めるように」という意識があったそうです。しかし、楢葉町になかなか求人もなく、帰るきっかけがない状況が続いていました。
2015年9月5日に楢葉町の避難指示区域が解除となり、両親は楢葉町に帰町。Jヴィレッジのジムに通われていたお母さんが求人を見つけ、2019年4月、藤原さんはならはスカイアリーナ(指定管理者として株式会社Jヴィレッジが運営)のオープニングスタッフとして楢葉町で働くことになりました。

Jヴィレッジの全天候型練習場

楢葉町に戻ってきた当初はコンビニのお弁当はほとんどがガテン系で、国道6号線を作業車が多く往来している風景は、震災前の楢葉町にはない光景で戸惑いを感じる日々が続いたそうです。
女性をターゲットとした楢葉町での求人も少なく、誰が戻ってきているのかも分からず不安を感じ、「楢葉町で育ち、近所の人たちの顔が見えていた当たり前の環境がなくなっていた。」と感じたと言います。現実を突きつけられ「楢葉で暮らしていくのは厳しいのでは?」と感じていたそうです。
しかし、ならはスカイアリーナで働き始めてから、ジムなどを利用されるお客様と接する機会が増え、「顔が見える関係」だった人たちと再会することが多くなったそうです。知り合いが楢葉町に戻ってきているのを実感した藤原さん。お客さんとして来た同級生と久しぶりに再会したこともあったそうです。「スカイアリーナで働いていなければわからなかったことかもしれない」と嬉しそうにお話しされていました。
「ならはスカイアリーナやJヴィレッジにいると、多くの子どもたちと接する機会があり、その中でも、ばつぐんに楢葉の子どもたちが素直だと感じる。」藤原さんも、自身の幼いころから、クラス全体・学校全体で仲が良いイメージがあったそうです。「大人が子どもたちを優しく見守っている環境があり、子どもたちはのびのび素直に育っていく。子育てにはとてもいい環境だと思います。」

休日も天神岬しおかぜ荘や道の駅の温泉など楢葉町で過ごすことが多いそうです。他にもJヴィレッジでサッカーの試合を見たり、ジムに通ったり、甥っ子が来た時はJヴィレッジで開催している「アソヴィレッジ」に連れて行き一緒に体を動かしているとのこと。
また、再会した同級生と町内の飲食店へ食事に行くことも。しかし、二次会に行くお店がなく、外で話し込んでいることも多いとか。
「仕事終わりなど遅い時間にも楽しめる場所があるといいな」。スーパーも7時に閉店。娯楽的な部分では、どうしてもいわき市に行ってしまうそうです。

Jヴィレッジで開催しているアソヴィレッジの様子※2022年11月19日(土)まで

いわき市での避難生活は2年続いたそうです。藤原さんは震災や放射線のことなどを考えるのが嫌になり、再び上京して仕事に就いたそうです。しかし、東京の人たちは福島のことを知らない人が多く、悔しい思いをしたといいます。その時「福島の現状をちゃんと伝えたい」と強く感じたそうです。
ならはスカイアリーナでの仕事を経て、今年の4月からJヴィレッジで企画・広報担当の仕事に従事している藤原さん。しかし「まだJヴィレッジが使えない」「震災の時のまま」と思い込んでいる人がたくさんいることに驚いたそうです。



「自分が大切に思っている場所が震災前以上に素晴らしい場所になっていることを、ちゃんと伝えていきたい。仕事で震災の体験を話せるのも、東京ではできないこと。ここで働いているからこそできることだと思う。帰ってきた意味が一つ見つかった気がする。今の楢葉町を伝えたいという気持ちが今の仕事のモチベーションにつながっている。」と、熱い気持ちを話してくださいました。

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