向き合い、進む

長田 滉央さん
仙台 → 千葉 → 東京 → 楢葉町
品田 真優さん
楢葉町 → 群馬 → 東京 → 楢葉町
仙台市出身で地元の高専を経て千葉県の大学・大学院に進学した滉央さんと、楢葉町出身で関東の大学・大学院に進学した真優さんは、同じ建築設計事務所の同期として出会いました。その後、公私ともに様々な経験を積みながら2020年2月に結婚し、2021年6月に楢葉に転居。

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東京の建築設計事務所の同期として出会った滉央さんと真優さんですが、滉央さんは仙台市出身で、真優さんは楢葉町出身。東北出身者同士ということで、地元のことや震災の経験、趣味のテニスなど共感を持てる話題が多かったと言います。結婚後も二人は東京の建築設計事務所で、滉央さんは都市計画の担当として、真優さんは構造設計の担当として仕事を続けていました。
真優さんの実家は震災により半壊状態に。一時帰宅で帰った際には、ずっと暮らしてきた家が目の前にあるのに戻ることができず、不思議な感覚を抱いたと言います。避難指示解除後、祖父母は楢葉に戻る一方で、両親は避難先のいわき市で生活が確立したこともあり、2018年に実家を取り壊すことに。生まれ育った家がなくなっても、暮らしていた証だけは残したいと真優さんは思い、かつての実家の住所を本籍地としてくれないかと滉央さんに頼みました。滉央さんは取り壊し前の家財搬出を手伝っていた経験もあり、真優さんの想いをきちんと受け止め理解してくれたとのこと。結婚を機に滉央さんは本籍地を元々真優さんの実家があった場所へと移しました。
結婚後の2人が将来を見つめ直すきっかけの日がありました。それは2021年2月13日、福島県沖地震が発生した日です。発災当時、職場のテレビで地震の様子を見つめていた真優さんには、はっとする感覚がありました。「東日本大震災の時も自分のふるさとが脅かされたが、進学、就職と県外で過ごし、まちの復興に関わることができなかった。そして今も地震が起きているが、遠くにいるので何も貢献できない。自分達の生活はこのままでいいのだろうか。」
真優さんは帰宅後、滉央さんと改めて震災のこと、ふるさとのこと、今後のことを話し合いました。過去を話すきっかけができたことで、将来をより深く考えるようになり、自分自身が消費される生活を続けていくことへの疑問がどんどん大きくなっていきました。
また、滉央さんは仕事で都心の再開発などに携わる中で、都心への資本一極集中を促す仕組みに自分も加担しているということに違和感を持っていました。
そうした仕事や生活への疑問から、滉央さんは福島で広い視野を持てるような仕事を探すように。そして、たまたま目に留まったのが福島大学から出ていた2名の求人でした。二人はそろって応募をして無事採用。東京を離れて、二人のルーツである東北での生活を決めました。

いわき市内の真優さんの実家に住む選択もありましたが、二人の勤務先が浪江町と富岡町だったこともあり、二人は真優さんの地元である楢葉の町営住宅を生活拠点に選びました。
隣家と距離が物理的に近かったり、庭の雑草が伸び放題のまま引き渡されたりと、戸惑うことも多かったそうです。しかし、入居初日に草むしりをしていると近所の方が手伝ってくれ、コミュニケーションが生まれるなど良い面での違いも感じました。そして、二人が楢葉に拠点を移して一番良かったと思うことはおじいちゃんおばあちゃんとすぐに会えるようになったこと。これまでは東京と楢葉で距離があり、なかなか会う機会が少なかったので、すぐに会いに行ける距離にいられることはうれしいと話します。
真優さんは高校生ぶりの楢葉での生活。「約10年間楢葉を離れていたこともあり、知り合いが少なくて浦島太郎状態。まちも大きく変わってしまったので、わからないことだらけだった」と真優さんは語ります。
一方の滉央さんは真新しい生活。初めての土地での生活に、仕事内容や人間関係もまったく異なるものになり、これまで感じたことのない戸惑いもたくさんありました。
二人それぞれが新生活に対して異なる感覚を持ちながら、滉央さんと真優さんがまず考えたことは「地域を知り、つながりをつくること」です。この地域にはどのような歴史があり、どのような方が活動をしていて、どのような取り組みが生まれているのか。郡内や浜通り、県内の色々な場に出ていき、積極的に新たなことを吸収しながら、今後できることの可能性を広げようとしています。
東京に住んでいた時に通勤に使っていたロードバイクでサイクリングをすることが二人の趣味です。海や川、緑豊かな自然の中を、車では感じられない風を切る感覚を楽しみながらサイクリングをしています。また、自作した竹炭(竹を材料にした炭)を使って焚火をすることも趣味の一つです。火を眺めながら二人で話すなどして、余暇の時間を過ごしています。

震災前に真優さんが暮らしていた実家の前には田園風景が広がっていました。しかし、震災後の新たなまちづくりにより、その風景は一変。笑ふるタウンならはとして、商業施設や交流施設、災害公営住宅などが立ち並ぶまちの中心地へと生まれ変わりました。そんなふるさとを真優さんは「好きだったのどかな景色が変わってしまって残念だった」と言います。つづけて「震災前と比べて、風景も暮らす人も大きく変わり、まったく別のまちのように感じる。パラレルワールドにいるみたい」と語りました。避難指示解除後のまちが大きく変化していく期間に楢葉を離れていた真優さんにとって、記憶の中にあったふるさとと現実の差に違和感を覚えながらも、割り切りながら日々生活をしています。
滉央さんは都市計画・建築計画、真優さんは建築構造を大学院まで専攻しており、前職でもその知識を活かし、経験を積んでいる最中でした。しかし、今住む地域でその力を伸ばしていくことのできる環境はまだ限られており、どうやって独自の力に発展させていくか悩んでいます。「建築設計事務所を辞めた以上は、ここでしか得ることのできない経験を積みたい。同期はどんどん新たな仕事をして成長している。同じかそれ以上の密度の時間を過ごし、何か吸収しなくてはと焦ってしまう」と切磋琢磨してきた仲間に触発されながら、今後のキャリアを考えています。
また、仕事の進め方や収入が大きく変化している中で将来の生活に対する懸念もあります。過去とのギャップは大きく、不安感も強い現状に、これからの将来をどう描いていくべきか悩んでいます。
一方で、二人は東京にいた頃の仕事中心の生活スタイルや、業務内容に違和感を抱えながら仕事をすることから距離を置いたことによって得たこともあります。それは、心身ともに余裕のある健やかな生活です。小さな出来事でも豊かさを感じられるようになり、これまでにはなかった充足感を感じています。東北のために、地元のために、今の自分達にできることは何なのか。可能性と不安の両方を抱えながら、二人は生活を送っています。

二人のやりたいことの可能性が広がる場所がもし他にあるのであれば、場所を移すことも一つの手段だと捉えています。真優さんは1年間働いた福島大学の復興支援専門員の仕事を辞め、今度は楢葉に拠点を置きながら、建築、構造設計の仕事に軸足を移します。この地域で活動を共にできる人が徐々に見つかって来た滉央さんは今の仕事を続けながら、じっくりと将来を考えていきます。
2021年2月13日を起点に、二人の疑問をぶつけ合い、より最適な判断を話し合いながら決めてきました。まだ20代の二人は大きな不安や葛藤と常に向き合いながら、二人それぞれが本質的にやりたいことや将来を今後も悩みもがきながら探していきます。

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